Smile!-8

『Smile!』７　＜　小説index　＜　Home

『Smile!』 　　　＜＜７　　　　９＞＞

　８

　──その日は、朝からあわただしかった気がする。

　サナルさんが無事釈放されたという知らせを受けたのが昨日。
　その知らせは今朝にはべレスの基地の誰もが知る所となった。
　そのことに対する反応は人それぞれだけれども、ナディア王はどこかほっとしたような顔をしていた。
　その雰囲気は、以前と比べてだいぶ余裕が出てきているようにも見えた。

　だからといって。
　何かがどう変わるわけでもなかった。
　戦況は相変わらずで。
　飛び交う様々な情報。
　繰り返される会議。
　ベレスの基地はいつものごとくどこか殺伐とした、相変わらずのあわただしさに包まれていた。
　そんな中、今日、わたしと乱路はナディア王とともにベレスの周辺を視察することになっていた。
　そのための準備もあって、今日は一段とあわただしかったのは間違いない。

　だから起きたこと──だったのかもしれない。

「戦地跡の視察、か」
　ふう。
　乱路はため息をつく。
「気が進まない？」
　わたしは乱路にたずねた。
「戦地跡を生で見たことがないからな。そのリアルさがわからないんだ。それが……怖い」
「確かに、戦地跡ほど死というものをまざまざと見せつける場所はないかもしれませんね」
　戦地跡を見たことがあるのだろう。
　ノウは神妙な顔をしていった。

　と、そのとき。

　コンコンッ。
　部屋のドアがノックされた。

「はい？」
　わたしがドアのほうに向かって声をかけると、
「ランジ様の護身用の剣が届いたのことです。武器庫のほうにいらしてください」
　そんな男の人の声が返ってきた。
「だってさ、乱路」
　わたしは乱路のほうを振り向いた。
　そういえば乱路、こないだのカミル王太后の件もあって、外に出るなら護身用に自分の剣がほしいっていってたっけ。
　特に"力"があるわけではないけれど、自分の身ぐらい自分で守りたい、てところなんだろう。
　実に乱路らしい考えだ。
　どうやらその剣が届いたらしい。
「そうか。……了解。すぐ行きます」
　乱路はドアのほうに向かってこたえた。
　そのこたえを聞いて、男の人は「失礼しました」という声を残すと、どうやら去っていったようであった。
「……って、そういえば、武器庫ってどこだ？」
　乱路はノウのほうを見た。
「そういえば、ランジ様はご存じないんでしたっけ。お供しましょう」
「頼む。……佳奈はどうする？」
　乱路は今度はわたしのほうを見た。
「わたしはここでお留守番してるよ。やたらついていってもジャマになるだけだろうし」
「そうか。じゃあ、行ってくるか」
　乱路はそういうと立ち上がった。
　ノウも立ち上がる。
「いってらっしゃーい」
　ひらひらとわたしは２人に手を振った。

　……ふう。
　２人を見送って、思わずため息が出る。

　──やっぱりだめだな。

　１人になると、つい気が滅入ってくる。
　揺らいでいる"自分"という存在について、終わりのない思考が頭をもたげてくる。

　きのう、乱路が救いの手を差し伸べてくれたのに。
　その手を素直に取ることができなかった。

『少なくとも、オレは何があっても、佳奈がどんな答えを出したって、絶対にお前のそばにいるからさ』

　乱路は、わたしにそこまでいってくれたのに。

　乱路は……わたしにとって、誰よりも大切な存在で。
　絶対的に信じられる存在だったはず。
　……なのに。
　この想いさえも、前世のせいじゃないか、なんて思ってしまう自分がいて。
　もう、どうしていいかわからない──

　そんな終わりのない思考にとらわれていたせいなのだろう。
　"力"を持つ現在だったら気づくはずだった"異変"にわたしは気づかなかった。
　一瞬周りの気配がざわめいた気がしたのに。
　対応が遅れたのだった。

「え？」

　ツ……ッ。
　首筋に一瞬感じる、針を刺されたような痛み。
　そして。

「………っ……」

　意識が……遠のいていく──……

　……乱……路……

　それが。
　ベレスでの『佳奈』としての最後の意識、だった。

「………」

　――ん……。
　ふっと意識が浮上して。
　ゆっくりと目を開ける。

　目に入ってきたのは、知らない天井。
　感じるのは、体にかかる柔らかな布団の感触。

　ここはどこなのだろう？
　というか。
　どうして布団の中にいるんだろう……？

　まだすっきりしない、ぼやけた頭のまま身じろぎをすると。

「気がついたか？」

　すぐそばで男の人の声がした。
　わたしは声のしたほうを向く。
　そこには中世ヨーロッパの貴族のような格好をした、黒髪の若い男の人がいた。

「気分はどうだ？」
「えと……」

　声をかけられても。
　いまだに状況がつかめていない。
　とりあえず布団から起き上がってみる。
　どうやらここはどこかの部屋の１室、というのはわかるけれど、それ以外に何の手がかりもない。
　向こうのほうに女の人がこちらをうかがうようにして立っているのが見えたくらいであった。

「あの……ここは……？」
　わたしは男の人にたずねる。
「ここは……マイセン城だ」
「え……？」

　『マイセン城』
　一瞬、どこかで聞いたような気がしたけれど、すぐにその感覚はかき消えてしまった。
　ここはどこかの城、ということか……。
　って、なんで、"城"と呼ばれるようなところにわたしがいるんだろう？

「わたしは何でここにいるんですか？」
　わたしがそうたずねると。
　男の人はふっと意味ありげに笑みを浮かべた。
「本当に効いているようだな」
「……？」
　意味がわからない。
　この人は何をいっているのだろうか……。
「俺のことも、誰だかわからないのだろう？」
「………」
　男の人にいわれて、もう一度彼の顔をじっと見る。
　20代前半の、黒い髪に黒い瞳の男性。
　その瞳は、優しいように見えて、どこか鋭い冷たさを持っているように見えた。
　見覚えは……ない……と、思う……。
「………」
　わたしが戸惑った表情を浮かべているのにもかかわらず。
　男の人は満足そうな顔をしていた。
　ますます状況がわからない……。
「もう１つ、聞こうか」
　混乱しているわたしに、男の人がさらにいう。
「お前は、誰だ？」
「え……？」
　なんでそんなことを、と思いながら、答えよう、とした。
　でも……。

　――え……!?

　……わから、ない……。
　ちょっ、ちょっと待って。
　一瞬でかかったのに、何かかき消された感じがする。
　たぶんその"何か"がわたしの名前なのだろうけれど。
　でも。
　わからない。

　わたしは。
　わたしは、いったい誰――!?

「ふふっ。それでよい」
　自分のことが誰だかわからない、そんな状態にわたしが激しくうろたえているのにもかかわらず、男の人は満足そうにうなずいていた。
「記憶なんてなくていい。『カイナ・アルクースト』としての記憶も、『吉川佳奈』としての記憶も邪魔なだけだ。俺の持ち駒として使うためには、な」
「え？」

　『カイナ・アルクースト』？
　『吉川佳奈』？

　とにかく混乱していて、聞き返すのが精一杯なわたし。
　そんなわたしに男の人はさらに信じられないようなことをいった。

「お前は俺の妻になるんだ」

　――は!?

　もう、何がなんだかわからない。
　自分についてもよくわからず。
　この人がいうこともよくわからない。
　わたしはもう、ただただ混乱していた。

「詳しい話はまた後ほどしよう」
　男の人はそういうと。
　混乱しているわたしをそのままに、部屋から出て行ってしまった。

　いったい……何がどうなってるのだろうか。
　気がついたら、自分に関する記憶が一切なくなってて。
　しかも、あの人の妻になる――!?
　わけがわからない。
　わたしがいったい何者なのかわかれば、何でこんなことになっているのかがわかるのかもしれないけれど。

　わたしはいったい――

　そのとき。
　わたしは条件反射のごとく胸元にあるはずの『何か』を握り締めようとした。
　……でも。
　そこには何もなかった。

「……？」

「ペンダントでしたら、こちらで大切にお預かりしておりますので、ご心配なさらずに」
「え……？」
　わたしは声のしたほうを見る。
　先ほどから部屋の隅で控えていた女の人がこちらのほうにやってきていた。
「ペンダント……」
　何もつかめずに握りつめたままだった手を開いて見つめる。
　ペンダント、していたのか……わたし……。
「バジュアン王が、今のあなた様には必要のないものだ、とおっしゃられて、あなた様からお外しになられたのですよ」
「………」
　そういわれても、今のわたしには、ピンとこなかった。
　ペンダントが必要ないって、どういうことだろう？
　それに。
「あの、『バジュアン王』って、誰ですか？」
　女の人の口から出た、知らない名前についてたずねた。
「先ほどの方です。ここ、マイセンの王でいらっしゃいます」
「あの人が……」

　再び彼の顔を思い出す。
　どこか鋭い瞳。
　あの人がこの国の王、か。
　……ならば、ますますわからない。
　何でそんな偉い人の妻にわたしがならなければならないのだろう？

　もう何がなんだかわからないまま、ただただぐるぐると考え込んでいると。

「お目覚めになられたのでしたら、お召し物をお替えになりませんか？カイナ様」
　女の人がそう声をかけてきた。
「『カイナ様』……？」
　さっきの男の人……バジュアン王の言葉にも出てきた名前。
　わたしは思わず聞き返していた。
「それがわたしの名前、なんですか？」
　わたしは女の人にたずねる。
「ええと、このお名前は、前世でのお名前で、今は別のお名前だそうですが、私達には教えられていないので……」
「前世……？」
　前世って、どういうこと？
　前世なんて何で関係するのよ？
　話を聞けば聞くほど混乱してくる。
　とにかく、なんだかえらいことに巻き込まれている、という以外のことは、今のわたしにはわからなかった。
　そんなわたしに女の人が困ったような笑みを浮かべて。
「いろいろと混乱なさっているようですので、とりあえずはできるところからなさってはいかがですか？できる限りはお助けしますから。今はお起きになって、お召し物をお替えになったほうがよろしいと思いますよ？」
「……わかり、ました……」
　まだまだ混乱しながらも、わたしはとりあえず女の人に従うことにした。

「どうですか？きれいな庭園でしょう？」
「そう……ですね……」

　わたしはいろいろと世話してくれている女の人、キイスさんはわたしを着替えさせた後、城の中をいろいろと案内してくれた。
　そして最後に、城の中庭へとわたしを連れてきたのだった。

　確かに。
　様々な花が咲き乱れて、きれいな庭園だと思う。

　……でも。

　案内されながら、キイスさんがいろいろと説明してくれた。

　わたしは『カイナ・アルクースト』という400年前の、隣国・カルナの王の生まれ変わりであること。
　カイナは400年前の戦乱を治めた人で、この世界、アースナでは知らない人がいないくらい有名な人であること。
　わたしは突然、気を失った状態でバジュアン王に連れて来られたこと。
　「大切な客人」として扱うように、とバジュアン王からいわれていること。

　それらの話を聞いても。
　どれとしていまいちピンとは来なかった。
　自分が誰だかわからない……そんな不安は結局は拭い去ることはできなかったのだった。

　そんな不安が、きれいな庭であってもどこかかすんだものとしてわたしの目に映させていた。

「……申し訳ありません」
「え……？」
　中庭を見つめて何もいわないわたしに、キイスさんが申し訳なさそうに口を開いた。
　わたしは何を謝っているのかわからず、思わず聞き返す。
「ご記憶を失われて、混乱なさっているようでしたから、気分転換に、と思ってお連れしたのですが、よけい暗いお気持ちにさせてしまったようですね……」
「そんな……」
　キイスさんの心遣いは痛いほどわかる。
　だから、なんだかわたしのほうが申し訳ないような気がした。
　そんなわたしの様子を見て、キイスさんはふっと苦笑いを浮かべた。
「もし今が、戦争中でなければ、もう少し明るい気分になられるようなものをお見せできたのかもしれないのですがね」
「………」

　この国……いや、この世界は、今、戦乱の最中にあって。
　この国が戦乱の中心であり、隣国・カルナと敵対しているという。
　この城から一歩外に出れば、街はどこか暗鬱としているそうだ。
　そもそもこの城の中でさえもどこか殺伐とした雰囲気が漂っていた。
　この庭も、美しく整えられてはいるけれど、どこか表面を取り繕ったような、そんな感じがするのは確かだった。

「マイセンは昔、400年前は隆盛を誇っていた国だそうですが、戦争を境として、国力は徐々に衰えていきました。マイセンに再び隆盛を取り戻すためには、戦争を再び始めなければならない、そうバジュアン王はおっしゃられて、様々な国に戦争を仕掛けるようになりました。……そのお志はわかる気がします。しかし、戦争以外の選択肢だって……」
　キイスさんはそういいかけて、はっとした表情になった。
「……いえ、なんでもありません。王がおっしゃることなのですから、間違いがあるはずないですよね」
　そういってキイスさんは苦笑した。

　戦争が国のためになる、か。
　そういう考え方もあるのか。
　いわれてみれば、確かにそうかもしれない。
　戦争で領土を拡大して、資源を集めれば、国は豊かになる。
　だけど……。
　キイスさんの表情を見ている限り、今、この国がいい状態にあるようには思えない。
　きっと。
　ものすごく難しい問題、なんだろうな。

　――と、そのとき、だった。

「佳奈!?」

　茂みの向こう。
　ガサッ。
　激しく掻き分けられて。
　１人の男の子が現れた。

「何者です!?」

　サッとキイスさんがわたしをかばうように前に立つ。
　そんなキイスさんを無視して、男の子はわたしにさらに話しかけてきた。

「佳奈、迎えに来た。帰ろう」
「え……？」
　『迎えに来た』……？
　わたし、を？
「カイナ様、見覚えのある方ですか？」
　キイスさんがわたしにたずねた。

　そういわれて、わたしは改めて男の子の顔を見る。
　年は、たぶんわたしと同い年くらい。
　黒い瞳に黒い髪で、すらっとした背格好。
　何より、意志の強そうな瞳が輝いて見えた。
　でも……。

「わからない、です」
　わたしがそう答えると。
「え!?」
　男の子がものすごく驚いた表情をして。
「佳奈、オレだよ、乱路だよ!!」
　まるで絶叫するがごとくにいった。

「残念だな。彼女はもう、お前のことなど覚えてない」

　突然後ろから声がして。
　振り返るとバジュアン王が立っていた。
　その後ろには、衛兵も何人か控えていた。

「え……あ、兄貴……？」
　バジュアン王を見て、絶句したようにつぶやく男の子。
「兄貴、か。俺はもう、お前の兄などではない。そもそも血のつながりはないのだしな」
　バジュアン王はどこまでも冷たい瞳で男の子を見つめる。
　そして。

「この者を捕らえよ」
「はっ」

　バジュアン王の命令に従って、数人の衛兵があっという間に男の子を囲んだ。

「ちょっ、ちょっと待てよッ！なにがどうなって……っ、はなせっ!!」
　男の子は混乱しながらも、必死に抵抗する。
　しかし、衛兵が数人がかりで押さえ込んでしまったため、抵抗もむなしく、衛兵にそのまま連れさらわれてしまった。
「………」
　そんな様子をバジュアン王はただただ冷たい視線で見つめていた。

　――彼は、いったい誰……？

　わたしは、彼が連れさらわれていってしまったほうを見つめたまま。
　繰り返し、あの意志の強そうな、まっすぐな瞳を思い返していた。

＜＜７ 　　　　９＞＞

『Smile!』８　＜　小説index　＜　Home