Smile!-7

『Smile!』７　＜　小説index　＜　Home

『Smile!』 　　　＜＜６　　　　８＞＞

　７

　――繰り返し見る、あの夢。
　『佳奈』と呼ぶ声と。
　『カイナ』と呼ぶ声。
　最近では、『カイナ』と呼ばれる声がより大きく聞こえる気がする。

　現実世界でも。
　わたしのことを『佳奈』と呼ぶのは、限られた人たちだけ。
　ほとんどの人たちが、わたしのことを『カイナ』と呼ぶ。

　『カイナ』としての記憶がある。
　『カイナ』としての"力"がある。

　『佳奈』であるわたしが、だんだん薄れていくような気がする。
　だんだん。
　わたしがわからなくなっていく――

　いっそのこと。
　乱路のように、前世の記憶がなければよかったのに。
　どうしてペンダントはわたしに思い出させたのだろう。
　『カイナ』としての記憶を。
　この世界で。
　『佳奈』としてのわたしは、いらないということなのだろうか……。

　ベレスに来てから、余計にそんなことを考えてしまうことが多くなった気がする。
　ここが戦争の最前線ということが影響しているのかもしれないけれど、わたしはとにかく『カイナ』としての言動を求められることが多かった。
　そして、それに自然にこたえることのできる自分がいて。
　それがますますわたしを混乱させる。

　だけど。

　そんな迷いを見せることはできなかった。
　守護神である『カイナ』が、不安な顔をしてしまったら。
　兵士たちの士気が下がってしまう。
　そうしてわたしは。
　この思いを誰にも打ち明けることができずにいた。
　そう。
　乱路にさえも……。

「サナルさんがこちらにいらっしゃるそうですよ」

　その知らせを一番に知らせてくれたのは、ノウであった。
　わたしと乱路はノウの持ってきたその知らせに飛びついた。

「ということは、無実が証明されたのか!?」
　乱路がノウにたずねる。
「ええ」
　ノウは笑顔でうなずいた。
「男の発言に矛盾が生じたのと、サナルさんのアリバイが証明されたそうで。今日カルナをたつそうなので、早くて明日、遅くともあさってまでには到着すると思いますよ」
　ノウはそううれしそうにいった。
「そのこと、ナディア王は知ってるのか？」
　乱路がノウにたずねると。
「はい。先程お伝えしました。……ほっとした顔をなさってましたよ」
　なんだか、ナディア王の表情が目に浮かぶ。
　わたしは思わず笑みを浮かべた。

　ナディア王が"力"を取り戻した、あの一件から今日でもう、一週間がたつ。
　戦況は相変わらず厳しいものの、ナディア王は以前に比べて、だいぶ落ち着いている感じがする。
　やはり、お母様とのぎこちなさを解消して、"力"を取り戻せたことが大きいようだ。

　あの日。
　カミル王太后は、城の人たちが止めるにもかかわらず、基地への慰安に訪れたのであった。
　それなりに物資も持っていたが、それはあの騒ぎのおかげで半分くらいがだめになってしまった。
　しかし。
　カミル王太后の慰安は、わたし達がここに訪れるのとは別の意味で、ここの人たちにとっていい影響を与えていた。
　王太后が一人一人に声をかけることによって、兵士たちは気負った心を解きほぐすことができたようである。
　戦場において、女性というのはあまり多くない上に、戦争を意識させない人物というのは、皆無に等しい。
　そんな中でのカミル王太后の慰安は、兵士たちにひとときの安らぎを与えていたのであった。

　ただ。
　カミル王太后がわざわざ危険をおしてまで慰安に来た理由は、やはり、ナディア王のことがあったらしい。
　ナディア王の様子を間近で見たい、という強い思いがあったそうだ。
　カミル王太后はそのことをこっそりとわたしと乱路に教えてくれた。
　基地の中で、カミル王太后とナディア王が談笑している場面をときどき見かけた。
　その意味でも彼女の訪問は意味あるものになったようである。

　そうしてカミル王太后は３日間の慰安を終え、先日、帰路についた。
　カミル王太后を見送る、やさしげなナディア王の表情が印象的だった。

　これで、あとはサナルさんさえ戻ってくれば、ナディア王が問題にすべきことは、この戦乱のみになる。
　そんな中での、ノウのこの報告だったのだ。

「ナディア王もこれで一安心だね」
　今まで何度もナディア王のつらそうな顔を見てきた。
　まるで昔のカイナを見ているようで、悲しかったけれど、これで少しは負担が少なくなることだろう。
　そう思うと、やはりうれしかった。
「そうだな」
　乱路はうなずくと、わたしの顔をじっと見た。
「………」
「何？」
「だから、お前ももう無理するなよ……？」
　ポンポン。
　乱路がわたしの頭をなでる。
「へへっ」
　わたしはあいまいに笑うことしかできなかった。

「………」

　その夜。
　わたしは１人、外で風に吹かれていた。
　わたし達がもといた世界では考えられないくらい、夜はとても静かだ。
　人工的な明かりは基地の周り以外にはなくて。
　空も、空気が澄んでいるからだろうか。
　降ってきそうなぐらい、多くの星が瞬いていた。

　――ふと。
　あの日を思い出す。
　アースナに来る直前のこと。
　日本の空は、こんなに星が多くはなかったけれど。
　それでも、とてもきれいに見えた。
　この星空よりも。

　あの時まで。
　わたしは自分に定められた運命を知らなかった。
　だから、笑ってられた。
　乱路の隣で、無邪気な笑顔で。
　あの日も、隣に乱路がいることがうれしくて。
　あの日の。
　乱路の優しい笑顔がとても、うれしくて。

　だけど――

　ギュッ。
　わたしは胸元のペンダントを握り締める。

　アースナに来てからは。
　『カイナ』の記憶と"力"が戻ってからは。
　心の底から笑えたこと、あったかな……？
　乱路はそばにいてくれるけれど、今のわたしは、もう、あの頃のわたしじゃない。
　戻りたくても、何も知らなかった頃のわたしには戻れない。

　わたしはもう、『佳奈』じゃないのかもしれない……。

「佳奈」

　ポンッ。
　肩を叩かれて、振り返る。
　乱路が笑みを浮かべて立っていた。

「乱路……」
「なーにしてんだよ、こんなところで」
　乱路はわたしの隣に座った。
「ちょっと……ね」
　わたしはあいまいに笑った。
　そんなわたしを見て、乱路は、ふう、とため息をつく。
「ったく、お前は……なに溜め込んでんだよっ」
　くしゃっ。
　乱路はわたしの頭をなでた。
「無理しやがってさ。まったく。見てるこっちがたまんねーよ」
　そういって再び、乱路はため息をついた。
「無理……してるかな？」
「してる」
　乱路はわたしの言葉に即答した。
「お前は昔っからそうだ。人に気を遣いすぎる。ったく。人がいいっていうか、なんていうか」
「………」
　――いつもそうだ。
　わたしがどんなに本心を隠していても。
　乱路にはばれてしまう。
　かなわないなあ。
「話してみろって。お前が今抱えてること。聞いてやるからさ」
　そういって乱路は、やさしい笑みを浮かべた。
「うん……」
　わたしはうなずくと、ため息をひとつ。
　そして、言葉を続けた。
「わたしって……何者なのかなあって。ここにいると、さ。みんながわたしのことを『カイナ』って呼ぶ。確かに……『カイナ』としての記憶も"力"もあって。じゃあ、わたしって何なんだろうって」
　わたしはそういうと、ふう、とため息をついた。
　そんなわたしを見て。
　乱路はぽんっとわたしの頭をなでた。
　そして。

「お前は、『吉川佳奈』、だろ？」

「え……」
　わたしは思わず乱路の顔を見る。
　乱路はやさしい顔をしていた。
「お前は、『吉川佳奈』だよ」
　乱路はもう一度、ゆっくりといった。
「でっ、でもっ」
　わたしは乱路にことばを返す。
「今のわたしはっ、前世の記憶も"力"もあって。ここに来る前のわたしとは全然ちがう……っ」
「だから？」
　乱路が静かにいう。
「だからって、お前のすべてが変わったのかよ？」
「そっ、それは……っ」
「お前は何も変わっちゃいねーよ」
　ぽんぽん。
　乱路がわたしの頭をやさしくなでる。
「オレは、前世の記憶なんかないから、『カイナ』がどんなヤツだったかなんか知らん。でもな、『佳奈』のことはよく知ってるよ。お人好しで、すぐに人に気を遣って。いつも『大丈夫』って、平気な振りをする。だけど本当は、つらい思いを１人で抱え込んでて。そんなお前だから、オレはいつもお前をほうっとけないんだよな」
　乱路はそういって、苦笑いを浮かべた。
「乱路……」
「今のお前はさ、前世の記憶だとか、"力"だとかが突然戻って、だけど、それについてゆっくり考える余裕を与えてもらえなくって、混乱してるだけさ。でも、お前はお前だよ。何も変わらない。オレが知ってる、『吉川佳奈』だよ」
　そういって乱路は、わたしを安心させるかのように何度もやさしくわたしの頭をなでた。
「………」

　わたしはわたし、か。
　確かに、そうなのかもしれない。

　だけど――

　日本にいた頃のわたしならば。
　その言葉に素直にうなずくことができただろう。
　でも、今のわたしには。
　どうしても素直にうなずくことができなかった。
　アースナにいるわたしに求められているのは、『カイナ』としてのわたしであって、『佳奈』としてのわたしではないのだ。
　城にいたとき以上に感じてしまう、そのことに。

　胸元のペンダントを見つめる。
　アスナイトのペンダント。
　わたしが『カイナ』であることの何よりの証だ。
　これがある限り。
　わたしは『佳奈』にはなりきれない。
　『カイナ』としての自分を、意識せざるを得ないのだ。

　そして。
　繰り返し見る、あの夢。
　『佳奈』と呼ぶ声と、『カイナ』と呼ぶ声。
　日に日に『カイナ』と呼ぶ声が大きくなってきている。

　わたしはどっちなのだろう？
　今、ここにいるわたしは、誰なんだろう――？

「……まあ、あせらなくていいよ」
　思わずうつむいて押し黙ってしまったわたしに、乱路はため息まじりにいった。
「少なくとも、オレは何があっても、佳奈がどんな答えを出したって、絶対にお前のそばにいるからさ」
　乱路はふっと笑って。
　ぽんぽん。
　わたしの頭をそっとなでた。
「……ありがとう……」
　わたしはうつむいたまま、小さくつぶやく。
　そしてそれきり。
　２人とも何もいわないままだった。

　――ただただ。
　ベレスの夜の静寂が。
　そんなわたし達をそっと包んでいた。

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